籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

棚に上げる話

何かを批判するときに少しでも自分の棚に上げなきゃいけない要素があると批判をやめてしまう節がある。人間としては悪くないが、躊躇してる理由は他の人から見えない時もあるからもったいない損失。棚に上手に上げて話ができる人が羨ましい。</p>&mdash; 籠の中のジョニー (@manmanpepe) <a href="https://twitter.com/manmanpepe/status/1114712637948870656?

 

先日私がしたツイート。

自分のことを棚に上げて批判や指摘することに対して敏感になっている自分がいることに対してツイートではあったが、共感できる人も一定数いるのでは無いかと思う。

人間が何かを批判や指摘、批評する時自分の立場や言動、行動をどれくらい振り返って言葉にするだろうと考えると止まらなくなる。

 

例えば、これから批判することに対して自分が当てはまるか当てはまらないかの判断が正確かどうかは別として、早い人にはこれらの批判などに対してのハードルが低いと思われる。反対に私のような判断が遅い人には批判に対してのハードルが高いのみならず、早さでも負けるため私自身損しているように感じる。さらに判断に時間がかかる為に発信を見送ることも少なくない。批判に限らず判断が遅いことに対してのデメリットが多い。

 

ただ自身の「信用」を考えると棚に上げて発言することに対してはリスクが伴う。

それなりに発言している人はこれまでの言動などに対して何も言わずに整合性の取れない発言は、「虚偽」のように映る。揚げ足を取られると「信用」がガタ落ちすることは目に見えているので、リスクがそのまま損失を生み出す。

 

私はリスクをとってまで棚に上げて発言する必要があるのだろうかと考えてしまう。リスクをとらないとあるものが少ないとはいうものの損失が怖かなってしまう人は私だけでは無いのであろう。

 

それ故に上手に棚に上げたいと思う。

方法は色々あると思うが、知的にできる方を身につけていきたい。「信用」を落とさない為にも、むしろ「信用」を積み立てる為にも棚に上げて発言していこうと思う。