籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

キャバクラ行って思った話

人見知りで人と話すのが苦手な自分でも初めてキャバクラ行った時は楽しいなと思った。

 

会社の上司が連れてってくれて初めてキャバクラに行くことになり、お酒も入ったこともあるが自分からキャバクラについて女の子に代わる代わる聴いて楽しかった記憶がある。システムはもちろん、どんな人がキャバクラに来るのか、どういう楽しみ方がおすすめかなどを1人の待ち時間が少ない中で目一杯こっちが質問するのに答えてもらう時間だった。何か自分にコミュニケーション能力があるように錯覚して嬉しかった記憶でもある。

基本ケチな自分にもこういうお店に行く価値がわかったような気がした。上司も上機嫌だし、店を出てから仲間内で話すことにも困らないし確かにお金になるコンテンツだなと感心した。

 

少し時間が経ち、最近の仕事上での自分のコミュニケーション不足な面を飲みの場や2人でいるときに上司に指摘されることが増えて、バリバリの営業マン気質の上司はお店で遊んでコミュニケーション能力を高めるようなことを自分に求めた。そんなノリで2人で入ったキャバクラでは女の子にも趣旨を説明したのちに自分中心に話をしていくような場になってしまって、自分は萎縮してうまく話すことができなかった。「好きなものは何ですか?」とか「趣味は何ですか?」とか「どんな女性が好きですか?」何で質問にことごとく広がらない答えを連発した。

そもそも自分に興味がないだろうとそんなベタな質問に上手く返すシュミレーションもしてなければ、変なこと言う反射神経もないし、第一に心を開くことが億劫に感じる性格の上で知らない人に自分の突飛な部分を受け入れてもらえるなんて思ってないのが、質問されて瞬間に頭を駆け巡り、気づいたときには時は進み話題も進んでたりするか回答を待たれて空気が悪くなる。

 

頭の回転が遅いと言えばそれまでだが、今まで自分語りをすることを無意識に避けていたのではないかと初めて思った。

当然昔からの知り合いには心開いている分自分語りをスラスラとすることもあるし、自分の悲観的な考えで話題を広げてたこともあったが、すこしでも心開くハードルを超えられなかった人には、無意識に自分の意見を上手く見せないように話していたと今になって思う。

大学生の時は誰とでもある程度話す技術が付いてきたと思ってはいたが、当たり障りのないことをあたかも自分の意見のように話していたに違いない。

難しことを話すのも嫌だし、かと言ってつまらない話をするつもりもない。どうにか間を埋めるタメにくだらない話をしている自分が親しみやすい人を演じているということに当時は満足げでもあった。

 

今の仕事上、いつも同じ人と働くわけではないので性質上話さなくても時間は過ぎるしそこまで問題はない。ただ長く付き合う可能性のある人も中にはいるし、会社に報告される評価もあるので蔑ろにすると現状から上がっていくことができない。

人の話を聞くことはもちろん、自分語りを嫌味なく出来る人間が成功するのではないかと近頃思う。