籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

恋が難しい話


久しぶりに付き合いたいと思う人ができた。

その子のことをたくさん知ってるわけではないし、好みの女性というわけではないけど、価値観が合いそうだと思う人だ。

価値観が合う人と一緒になることがすごく楽に寂しさを埋め合わせるのではないかと思うようになった。箇条書きにするとすごくわかりやすくなるのではないかと思うが、そう言った理由を本人に伝えることは話は別である。

価値観といえどもたくさん項目があって、あげるとキリがないし、全てをクリアする人はいないと思う。それにピッタシ自分の要望に応えられる人が存在するのも気持ち悪いと感じる。ただ合うに越したことはない。

 


価値観の中の項目として大きく分けて4つある。一つは金銭感覚。何にお金をかけるかが理解できないと一緒にいても落ち着かない。私自身基本お金を使うことに幸せを感じるのではなく、お金を守ることに幸せを感じる方で節約できることに関してはかなり敏感だと思う。ただ見栄を張ることは沢山ある。人に使うお金に対して多少は使う傾向にある。

 


2つ目は体力にある。体力というかスタミナというか、どれだけ1日もしくは長期にわたって人と過ごすことができるかというだろうか、私の中ではスイッチを入れた状態で入れる時間に当たると思っている。

これに関して、私自身はこの時間が短いと思う。この時間がなるべく近い人がいいと思う。一緒に作業する時、一緒に旅行する時などすこし気合を入れなければならない時間で、私が電池切れな状態になってガッカリされるのは格好がつかない。

こんな考え自体が格好悪いが25年生きてきて自分を悪く見せないような処世術のようなものだから仕方がない。

 


3つ目は善悪の価値観にある。

私自身はとても慎重派であると思うので、悪だと思う部分が多いと思う。ただ許容性が少ないのはとても人として残念だと思うので、私自身はしない決めていることでも、他人には多様性を認めていることが大人だと思っている。しかし交際相手などの身内に関しては、私自身の善悪の価値観を全てとは言わないものの共有しておきたいとは思う。私自身であり、私も相手の印象の一部を担う思うからである。

 


4つ目は他者への想像力。

3つの価値観を司るとも思えるこの俯瞰的に観た発想から来る行動が出来る人が1番に理想とも言える人物だと思う。これに関しては、私自身と同じレベルと言うよりか、完全に秀でているだけ魅力を感じる。この能力を持っている人こそ頭がいい人と思えるし尊敬する。

ただこれに関しても私自身が判断できる範疇の俯瞰的な見方に付随するものとも考えられるので、私自身に想像力がないとその能力も見定めることができないため、結局のところ同じレベルでの価値観という話になる。

しかし単純に考えても、他人に対して優しく思いやりがあるかを考えて行動できる人には尊敬の念が絶えない。私が人としていちばん大切にしている点である。

 

難しいことをつらつらと書いてきたが、すべての条件を満たす方に出会うのは無理だろう。

そしてそれを満たせるのは自分自身しかいないし、それなら2人で過ごす意味がない。

まずは後先考えずに親密になるように努めることをしていきたい。