籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

怒った話

自分自身はなかなか怒らない人間だと思っている。そんな自分でも今はすごく怒っている。怒る時は毎回仕事でのことだと振り返って思う。

基本的に自分が仕事でミスすることが多い分なんでも自分が悪いと思うようにしている。

ただしそこにストレスはちゃんと溜まっている。いつもならちょっと謝ればいいと思って開き直ることができるが、我慢していた分どこからかなんで自分がこんなに我慢しなきゃ行けないんだと思う。そう思うともう無理なのかもしれない。再び信用し直す度量を持ち合わせていない。器が小さいし、キャパも小さい自分には一度信用を落とした状態で戻すことは極めて難しい。

 

何かのきっかけでカチッとスイッチが切り替わったかのような性格になったのはいつからだろう。これは心の余裕が持てなくなったことも意味する。いろんな感情を加味して現状のまま維持することは難しいとは思ってなかったが、怒っている時は、よくまあ耐えられたものだと思う。複雑に考えて曖昧なグレーを選ぶのは簡単に見えて難しかったんだなとこの時ばかりは思う。

怒ってる時に白黒つけることは、実際の色を分けるというより近い方に塗りつぶす、もしくはほとんど全て黒く塗りつぶすことを余裕のない時に選んでしまうのであろう。正当な判断とは到底思えない。

 

それも根本的には面倒くさがりな性格が関係していて、怒られたり指摘される時には深く考えずに従うのが通例になっているから、その場での対応に横着した結果「自分はこんなに我慢してるのに」と言った具合に変換されるのであろう。相手にとっては自分の怒りや不満は見えにくいのではないかと思う。

 

仕事関係で仲が拗れるのはいつもこのパターンになる。比較的最初は信用している人をある一線を超えると人間性に呆れるようになり、「あの人はこうだから」と思うようにする。

その後にもう一つの一線を超えると相手の全てを受け入れたくなくなる。ほとんどの他人が自分の力では話せばわかってくれるとは思えないし、もしこちら側からの話を聞き入れることがあったとしても一時的なものとしか思えないのでそこから関係を修復することはない。

自分が思う一度落ちた他人のイメージがいいイメージに変わることはほとんどない。「根はいいやつ」なんて言葉を信用していない。

 

こんな起こり方をする奴は自分でも扱いにくい奴だと思う。相手にしたくない人間であることは自分でもわかる。ただこれが現段階では自分自身を守るベストの方法にはなっている。

潜在的に「人に嫌われないように」「面倒なことにならないように」というのが行動の元となっているが、この根本が変わらないと人間関係でのトラブルを回避する術は無いと思う。

ただ自分がそこまでできる人間なのか、そこまでする事はあるのかと自問自答の末変わらずにいる。