籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

本音の話

どうしても自分をさらけ出すことが出来ないでいる。社会に出ると同時に自分と似たような境遇の他人に出会うことが少なくなったようで、本音で話すことに理解されない怖さがある。

 

学生時代とは立場や年齢だけでなく、知識量や金銭感覚が自分と比較して何十倍もの差が開いていることに気づき、単なる思想の違いでは太刀打ちできないと思う日々にいる。

それがこれまでの自分の人生における環境の違いなのか、はたまた年齢上の人なら経験や世代のギャップなのか、今着いている仕事の業界の傾向なのかはっきりした分析結果は出ないが、自分の性格上色々と言いやすいく、説教しやすい人間だということは社会に出てから痛感している。

 

説教されてるときはどうしていいのかもわからないし、何を言えばこれが早く終わるかということばかり考えている。言われていることに関して間違っているとはあまり感じないが、自分に当てはまることとは思わないし、その人の言う通りにして長い間どこか半信半疑のまま言われたことに突き進む度量を持ち合わせていない。

そんな態度が話を聞いているときにも顔に出ているのであろうし、次会ったときにもまだわからないのかと思ってしまうのだろう。

完全にドツボにハマっている。

 

多分普通の人なら期待に応えられるように努力して壁を乗り越えていくのだろうが、自分はその努力に対して結果が伴わない。まず努力をやり切れた試しもない。不器用でダラしないことに皮肉めいた思想が加わって、最後まで一人でやり遂げる前にリタイアする。

そんな経験ばかり頭に残って自信をなくす。そんな負のフィードバックを繰り返した結果が自分をさらけ出すことのできない人間になってしまった。

だからといって誰とも喋らないような人間ではない。見えにくいバリアを張った状態でコミュニケーションを取るという手段に行き着いた。話していても本当の自分の核に触れるような言動をなるべくしないようにしてしまってる。自分の趣味嗜好、思想、価値観については時には思っていないような嘘をついてお茶を濁す。それは本当の自分を否定されることが何よりのストレスだからであり、そのストレスは精神的にも深く傷を作り後に残る。

だからこそ、裏と表じゃないけれどもう1人の打たれるための自分を作って、そこに他人からの攻撃を防ぐ盾のようにしている。元々意識して作り上げたものではないからこれに関してはどうしようも無い。お得意の時間とタイミングが来るのを待つばかりである。

 

そして限りなく本音に近いことを話す存在も必要ではある。自分の思想を否定されないだけでは満足できない自分もいる。親友が何人とかではなく、自分の本音をぶつけていい度合いを順位付けや性質で区別して肯定の成分を入れるようにしている。ただまだその数は少ないと思うし、全てをぶつけられる人はいないしこれからも出ない可能性の方が高いと思う。

もし限りなく全てをぶつけられる存在がいたとしたら、その人がパートナーになってくれることが近くて大きな目標である