籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

久しぶりに

気がつけば半年位書くことがなかった。

書くことがなかったというより書くことに意味を感じていなかった。

 

9月から新しい仕事が始まり、仕事を覚え慣れるまでに多少時間はかかったものの、今までの生活に時折感じる虚無感がなくなってきたのがこの時期である。

人生について考えることをやめて、今目の前にあることを淡々とこなしていくフェーズに知らずして入っていった。

 

上京したての頃は何か自分自身焦っていた。どんどん社会進出していく同世代を尻目に、家で何もせずに生産性のない時間を過ごすことに怯えていた。

新しいことを始めることが自分自身を認めるのに有効な手段だと何かを始めようとするが、鈍臭さに嫌気をさしてやめてしまうことの繰り返しであった。

 

新しい仕事自体は最初は興味はなかった。特別やりたいことではなかったが、面接ではなぜか自信なさそうにしていたところが、謙虚さとして捉えられ、採用してもらったことに少しだけ自信を取り戻した。

内定から入社までは時間空いたがつなぎでアルバイトをしていたがそれも精神安定上よかった気がする。ほとんど引きこもりになる手前だった状態からはかなりハードルを下げて仕事をする生活に対しての慣れを体に再度覚えさせた。

 

途中アルバイトをずっと続けるのもありかなと思った。飲食のアルバイトをしていたのだが、割と限られた世界のままで、前働いていたチェーン店での仕事は人手不足の店舗では重宝されて、日数働くことができて収入も悪くはなかった。

入社のタイミングは決まっていて、新しい仕事の正社員での給料がバイトでの給料を超えることがないことがわかっていたので少し悩んだ。

 

悩んでいるうちに時間は進み成り行きで今の仕事に就くことになったのだが、やはりバイトでの収入よりこの先の人生につながる経験を重視することを心に決めた。面倒くさがりの私はこの選択をすることは世間では当たり前かもしれないが、ちょっとした決心ではあった。

成るように成ると思うことで新しい道に進むちょっとした決心をした。

 

始まってからは同じ時期に入社する仲間も数人いて、良くも悪くも刺激があった。私以外は多少の経験がある人たちで流石に日和ったがそこからあまり考えるのをやめた。

今やっていることと先の人生を照らし合わせること、他人と比較することをやめた。

 

先のことを考えすぎること、他人と比較することを無意識にしてしまっていたことが、私にとってあまり良い結果を生まないことは薄々分かっていた。しかし以前までは余裕のなさからくる焦りに無意識の行動が制御できなかった。

新しい仕事を始めてからは、前のアルバイトから徐々に慣れていったことと、定職に就いたことの精神的な余裕からこういった行動を取らなくできるようになった。

 

「考えるより動け」みたいなことを発信力のある人たちはよく言うが、その意味はわかった上で実行できなかった自分がいた。

何か世界に必要とされた生産性のある行動を取ることを「動け」と言う言葉に込めていることだと思い、ハードルの高さに怯えていた。

でも今ならこの言葉に「自分なりに」という言葉を間に挟んで過ごしていこうと思っている。

 

その上ですこし余裕が出てきた今、また文章を書きたいと思っている。