籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

家にいて考えること

昨今の状況にただ家でウイルスに感染しないように過ごす生活にはそれほど退屈しないのは、世の中に簡単に観たり聴いたりするコンテンツがたくさんあり、それを消化しているだけで時間がつぶれていく感覚に慣れてしまっている状態になってきている。

自分個人としては収入が働いていない分下がるようになって節約しながら終息を待つような感じが2ヶ月続いていることに対して、やっと危機感が湧いてきた気がする。非常事態宣言が1ヶ月をめどに設定されているが、働いている業界の性質上どれくらいから仕事ができるのか皆目見当もつかない。会社は続けることができるだろうか?続くとして自分が切り捨てられる事はないか?会社の苦しい負債を自分が受けるような立場になりはしないかと言うのが何度も頭をよぎっては現実逃避してしまう。

 

またもやこんなに早いスパンで転職を考える時期が来るとは思わなかったが、何処かで分岐点として動き始める機会になったのではないかと思う自分もいる。

楽観視というよりは半ば逃避に近い感情で良い方に持っていくしかないとは思う。

こんな時に何でも話せる人が1人でもいたらいいのにと思うが、最近はそんな人もいない

キャバクラ行って思った話

人見知りで人と話すのが苦手な自分でも初めてキャバクラ行った時は楽しいなと思った。

 

会社の上司が連れてってくれて初めてキャバクラに行くことになり、お酒も入ったこともあるが自分からキャバクラについて女の子に代わる代わる聴いて楽しかった記憶がある。システムはもちろん、どんな人がキャバクラに来るのか、どういう楽しみ方がおすすめかなどを1人の待ち時間が少ない中で目一杯こっちが質問するのに答えてもらう時間だった。何か自分にコミュニケーション能力があるように錯覚して嬉しかった記憶でもある。

基本ケチな自分にもこういうお店に行く価値がわかったような気がした。上司も上機嫌だし、店を出てから仲間内で話すことにも困らないし確かにお金になるコンテンツだなと感心した。

 

少し時間が経ち、最近の仕事上での自分のコミュニケーション不足な面を飲みの場や2人でいるときに上司に指摘されることが増えて、バリバリの営業マン気質の上司はお店で遊んでコミュニケーション能力を高めるようなことを自分に求めた。そんなノリで2人で入ったキャバクラでは女の子にも趣旨を説明したのちに自分中心に話をしていくような場になってしまって、自分は萎縮してうまく話すことができなかった。「好きなものは何ですか?」とか「趣味は何ですか?」とか「どんな女性が好きですか?」何で質問にことごとく広がらない答えを連発した。

そもそも自分に興味がないだろうとそんなベタな質問に上手く返すシュミレーションもしてなければ、変なこと言う反射神経もないし、第一に心を開くことが億劫に感じる性格の上で知らない人に自分の突飛な部分を受け入れてもらえるなんて思ってないのが、質問されて瞬間に頭を駆け巡り、気づいたときには時は進み話題も進んでたりするか回答を待たれて空気が悪くなる。

 

頭の回転が遅いと言えばそれまでだが、今まで自分語りをすることを無意識に避けていたのではないかと初めて思った。

当然昔からの知り合いには心開いている分自分語りをスラスラとすることもあるし、自分の悲観的な考えで話題を広げてたこともあったが、すこしでも心開くハードルを超えられなかった人には、無意識に自分の意見を上手く見せないように話していたと今になって思う。

大学生の時は誰とでもある程度話す技術が付いてきたと思ってはいたが、当たり障りのないことをあたかも自分の意見のように話していたに違いない。

難しことを話すのも嫌だし、かと言ってつまらない話をするつもりもない。どうにか間を埋めるタメにくだらない話をしている自分が親しみやすい人を演じているということに当時は満足げでもあった。

 

今の仕事上、いつも同じ人と働くわけではないので性質上話さなくても時間は過ぎるしそこまで問題はない。ただ長く付き合う可能性のある人も中にはいるし、会社に報告される評価もあるので蔑ろにすると現状から上がっていくことができない。

人の話を聞くことはもちろん、自分語りを嫌味なく出来る人間が成功するのではないかと近頃思う。

 

 

 

臆病者な話

心霊現象や占いの類は信じていない。

自分自身に直接関係するものだと思えない分、そういったことへの興味が薄いと言った方が正しいかもしれない。友達にそういったことに関心がある人も少なかったかもしれないが、心霊現象や占いに心揺さぶられることがあまり有意義だと思えなかったからシャットアウトしてしまっていたのかもしれない。

 

その分現実的なことへの恐怖や心配性な部分は人一倍あると思う。今自分がする発言に対して最悪のイメージをすることで思い切ったことが言えないことに後悔することが何度あったかと思うし、言ったことへの後悔も沢山ある。

「どうせ後悔するなら…」なんてドラマチックな言葉は響いた直後に頭から消えて、悩んだ末の沈黙や動かないことを無意識に選択している。考えすぎることで臆病者になっている。

 

自分がもう少し考えなくてもいい人間だったらなといつも思う。

考えなくないことばかり考えてしまい恐怖と不安が襲う。その対策として耳に何かしらのコンテンツを入れる。無音が怖くなる。何かしら聴いてないと怖いため思考するときの集中力がなくなる。考えなくてはいけないことを考えるのがが億劫になってくる。考えなくなった末行動することができない。

行動できない人が出来上がってしまう。

 

誰かに叩いて欲しい。起こして欲しい。もう自分のためだけには何もできない。

もし自分の尻に火がつくとしたら周りの人が居なくなることへの恐怖だろう。「これをしないとあの人との関係がなくなる」「期待を裏切りたくない」という後ろ向きな決心がないと自分には動けない。

 

臆病者には臆病者の戦いでしか幸せにならないと思う。

持っているカードで戦うしかないのだから。

好みの曲の話

両親の影響で音楽に触れる機会が他の人の幼少期より多かったと思う。姉と兄は今でもなんらかの音楽は続けていて、自分も就職で家を出るまで楽器をやっていた。音楽は自分の中でもアイデンティティの部分であったが、今現状ではさらっと捨てた形になっている。

しかし消極的な自分だけは家族の誰かが聞いているアーティストや曲を話のネタのために聴いている節があった。今でもその感覚がほとんどではあるが、高校生くらいまでは好きなアーティストや曲の前には家族の誰か、高校生からは音楽好きの友達が基本絡んでいた。

 

今は誰かと話すために聞いていた音楽が少しづつ共感してくれる人がいなくても聴くものに変わってた。ただ本質的に曲を聞く意味はあまり変わっていない。最終的にはその音楽性への共感か驚きに対してリスペクトできる曲があれば誰かと共有したいというのが本質である。

そしてその共有したい相手がどんな人かが好みの曲に出ていると思うようになった。

単純に恋愛の曲が好きな人は恋愛体質な気がするし、ビジュアル系が好きな人はナルシストが多い気もするだろう。

 

そして自分自身の好みの曲の範囲が狭いことに最近気がついた。でも本当はわかっていたけどここ1.2年の自分の人との接し方を考えるとこの趣味と人間関係の相関がより浮き彫りになって出てきた。

昔は元々の友達に合わせて好みの曲だと思って聴いていたが、今は好みの曲に合いそうな人との付き合いを重視し始めた自分本位で狭い関係になっていた。

 

自分自身が許容できる音楽の範囲が狭い分、人間関係も狭く心開きにくい人間になっていた。

 

ヒルが先か卵が先かはこの際どうでもいい。人間関係でうまくいかない部分が有れば、間接的に今まで自分になかった音楽を聴くことをしようと思った。案外すっと気持ちが落ちつくかもしれない。

幼稚園の話

昔のことをあまり覚えていない。

人より長期記憶の容量が少ないと感じることが多々ある。実家に帰って父親と話しても小学校以前の記憶が食い違っていて、私自身も自信を持って主張ができないほど記憶できていない。

そして父親には「いろいろやらせたんだけどな」とか「何も覚えてないんだな」とチクっと言われる。

多少そういう病気なのかと思ってはいるが、昔のことを覚えていないことにそこまで不便を感じないので悲観的にはならずにいる。

 

幼稚園までの記憶なんてものはほとんどない。

友達だって幼稚園から小学校に上がるときに少し遠くに引っ越したもんだから、特に家族ぐるみで仲の良かった1人と、のちに会う2人のみの3人しか認識しておらず、のちに会ったとしてもこっちからはさっぱり覚えてないのでいつもあっちから言われて気づく。

人見知りなんて多分酷かっただろうし、いつも1人で遊んでいただろう。細かく覚えてるのは幼稚園で飼っていたアヒルを唯一捕まえることができる園児だったことと、誰もやらなかった竹馬を1人だけ練習していたことくらいで、その時から1人だけ違うことをしたい気持ちがあったのだろう。

中学に上がる前に数人が一度幼稚園に集まる日があった。唯一仲良かった奴も再会した奴も来てなかったので、大勢で盛り上がっている輪に入らなかったのは覚えている。お世話になった先生、園長先生、話しかけてくれた親御さん全員が初対面のように感じた。

 

残念ながらその当時の気持ちも覚えていない。楽しかったのか、苦痛だったのか、毎日何を思って過ごしたのかがどうしても思い出せない。

ただいつからか泣き虫だった自分がほとんど泣くことのない子供に変わったことは覚えている。強くなったのではなく泣いても変わらないことの方が多いと気づいたような感覚だった。

子供の頃の記憶はほとんど自分だけで完結しているものばかりで、そのどれもがどんな感情だったのかも覚えていない。あまりいい思い出ではないことが確かではあるがこれといって嫌だと思うこともない。

父親が言うには、入園した1週間後には「今日は行かなくていいかな」なんて生意気なことを言ってたらしいがとても自分が言い出したとは思えないし記憶がない。クラスも覚えてない。

 

自分自身の鬱屈とした気持ちが記憶に残さないようにしているのではないかと思う。何せ最近思い出せなくなったわけでもなく小学生の頃から思い出せなかったから。

自分の記憶が時間的な部分でなくて感情的な部分で記憶できないことがあるのであればここ1.2年のことはあまり覚えていられないかもしれない。

おやすみの話

昨今のコロナウイルス感染拡大の影響で仕事がなく、暇な毎日を過ごしている。

イベント業界で働いているため、現場はほとんどキャンセルになり会社としては損害はあるとは思うが、正社員での雇用なため収入への影響はなくタダ飯を食わしてもらっている状態にある。

 

しかしこの状態をラッキーだと思ってしまうくらい自分の志の低さが出てくる。

もともと2ヶ月近くしごとをしていなかった身としては、こんなにも怠惰した生活を好んでいたのかと思うくらい、この休みを満喫している。

 

世間の間ではどう捉えているのであろうか?

私と同じ境遇の人はそこそこいるだろうとは思うが、今後の人生の為スキルアップに使う時間として最適だと思う人や、学生の時の休みのように旅行や趣味などやりたいことを存分にやり英気を養う時間に使う人もいるだろう。私はそのどちらも当てはまらない。

 

休みが終えた後の何かに怯え、やりたいこともできず、人に自信を持ってしていたことを話すこともない時間にしている。

コロナウイルスへの感染に気をつけるくらいしかできていない。休んでいるのに日々満足度は下がっていくばかりで不安が募っていく。

社会人とは日々選択の連続で、それを参考にする人の境遇が限りなく近かった学生時代とは選択の難易度が違ってくると思う。そしていつも楽な方に、又は沈黙で返してしまうのがお決まりだ。

 

最善の策を面倒くささや失敗に対する恥ずかしさによって行動が遅れ好機を逃す。考えすぎる私のお決まりのパターン。

考えがまとまらないのがわかっているのに考えてしまうのは有り余る時間のせいで、長い休みのせいである。

 

不安な日々を脱却するためにもこの状況が早く回復することを祈る。

久しぶりに

気がつけば半年位書くことがなかった。

書くことがなかったというより書くことに意味を感じていなかった。

 

9月から新しい仕事が始まり、仕事を覚え慣れるまでに多少時間はかかったものの、今までの生活に時折感じる虚無感がなくなってきたのがこの時期である。

人生について考えることをやめて、今目の前にあることを淡々とこなしていくフェーズに知らずして入っていった。

 

上京したての頃は何か自分自身焦っていた。どんどん社会進出していく同世代を尻目に、家で何もせずに生産性のない時間を過ごすことに怯えていた。

新しいことを始めることが自分自身を認めるのに有効な手段だと何かを始めようとするが、鈍臭さに嫌気をさしてやめてしまうことの繰り返しであった。

 

新しい仕事自体は最初は興味はなかった。特別やりたいことではなかったが、面接ではなぜか自信なさそうにしていたところが、謙虚さとして捉えられ、採用してもらったことに少しだけ自信を取り戻した。

内定から入社までは時間空いたがつなぎでアルバイトをしていたがそれも精神安定上よかった気がする。ほとんど引きこもりになる手前だった状態からはかなりハードルを下げて仕事をする生活に対しての慣れを体に再度覚えさせた。

 

途中アルバイトをずっと続けるのもありかなと思った。飲食のアルバイトをしていたのだが、割と限られた世界のままで、前働いていたチェーン店での仕事は人手不足の店舗では重宝されて、日数働くことができて収入も悪くはなかった。

入社のタイミングは決まっていて、新しい仕事の正社員での給料がバイトでの給料を超えることがないことがわかっていたので少し悩んだ。

 

悩んでいるうちに時間は進み成り行きで今の仕事に就くことになったのだが、やはりバイトでの収入よりこの先の人生につながる経験を重視することを心に決めた。面倒くさがりの私はこの選択をすることは世間では当たり前かもしれないが、ちょっとした決心ではあった。

成るように成ると思うことで新しい道に進むちょっとした決心をした。

 

始まってからは同じ時期に入社する仲間も数人いて、良くも悪くも刺激があった。私以外は多少の経験がある人たちで流石に日和ったがそこからあまり考えるのをやめた。

今やっていることと先の人生を照らし合わせること、他人と比較することをやめた。

 

先のことを考えすぎること、他人と比較することを無意識にしてしまっていたことが、私にとってあまり良い結果を生まないことは薄々分かっていた。しかし以前までは余裕のなさからくる焦りに無意識の行動が制御できなかった。

新しい仕事を始めてからは、前のアルバイトから徐々に慣れていったことと、定職に就いたことの精神的な余裕からこういった行動を取らなくできるようになった。

 

「考えるより動け」みたいなことを発信力のある人たちはよく言うが、その意味はわかった上で実行できなかった自分がいた。

何か世界に必要とされた生産性のある行動を取ることを「動け」と言う言葉に込めていることだと思い、ハードルの高さに怯えていた。

でも今ならこの言葉に「自分なりに」という言葉を間に挟んで過ごしていこうと思っている。

 

その上ですこし余裕が出てきた今、また文章を書きたいと思っている。