籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

新しいことを始める話

新しいことを始めるのは億劫である。

仕事を覚えるのは最大級に嫌気がさす。

全然知らない人の中に放り込まれて(自分から行っているのだが)、そこの場所で1番わからないことが多い人になるのは甚だ気分が悪い。

 


極端に性格が悪く…というより捻じ曲がっている性格かと思われるが、人間は楽な方に向かっていくものであり、こんなことを思う人も少なくないのではないかと思う。誰だって人の下につくことはきちんと上につく人物のことを理解して下につく方が納得いく。それをおいそれと昨日入ったからこの人の部下と認めるのは、たとえ人類が作り上げた普遍のシステムだとしても少し悔しく感じる。

 


私個人としては感情論で人をまとめる人がとても苦手である。厳しく当たって仕事を覚えさせて、考えさせて、行動させてることに関しては団体のシステム上では当たり前のことだが、そういったことに対して全て感情的な理由で示しをつけることに対してはあまり納得できない。

「意思を持って仕事をすることに意味がある。」「お前のためを思って言ってる。」

などの感情に頼った発言がポンポン出てくるような人には一歩引いた見方をしてしまう。

それなら、「下についている以上我慢してやるしかない。」や「もっと期待されるような人間になれ。」のように、少し距離を取った対応を取られる方がまだマシである。

 


私自身が論理的な思考を好んでいるのがもしれないが、感情論に支配されてるような人にはクレバーさが感じられなく、そう言った発言を繰り返されるとその人への距離が空いていく。思考することを煩わしく思っているのか、自分の感情が大多数の感情のように感じているのかがとても頭のいい人とは思えない。

もちろん論理的に思考してどうしても折り合いがつかない時に感情による決断を下すことに関しては納得がいく。思考に対する時間を考えて感情的な決断による合理性はあると思う。それでもその決断の割合を高めることはしたくないし、情報や問題の大小にも関わってくる。

 


少しそれてしまったが、新しいことを始めるといつもこう言った考えが無駄に頭の中を駆け巡る。教えてもらう人や一緒に働く人の人間性が目について集中できない。故に覚えること、考えること、責任が伴うことが多すぎて頭の中がパンクする。若輩者の私を社会の先輩たちは笑うかもしれない。しかしこの先少なくとも十数年はこう言った悩みを、新しいことを始めるたびに思うだろう。これまでの生き方がそう示している。

 


新しいことを始めることに関しては多大な労力が必要だと現在再認識している最中である。