籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

趣味の話

ここんところ生い立ちを語ることが多いかもしれないが、最初の頃はこんなことが書きやすいので大目に見て欲しい。

 


趣味はベタに音楽鑑賞である。ベタすぎて他の趣味があれば変えたいのだが、どう考えても人生の占める割合として音楽が大きすぎるのでまだ変えられない。

 


前に貧乏の話をしたが、幼少期はそこまでではなかった。みんな持っているものなどがない代わりに、親の趣味であった音楽に関しては比較的お金を使う家庭ではあった。

CDは壁一列を3段の棚で占めるほかにそれぞれの部屋にCDラックがあったりしたほどである。

 


本当の音楽好きからするとそうでもないかもしれないが、うちに来る友達は少しびっくりしていたのをみて優越感に浸っていた幼少期であった。

遠出をするのに車に乗るとビートルズカーペンターズがかかり、邦楽関しては、両親の世代の音楽を小さい頃は聞かされてた。

 


小学校高学年になると姉が好きなアーティストを見つけて聞くようになった。私は両親が好きな音楽と姉が好きな音楽を聴くようになり、話題にあがる曲を聴き漁った。年の近い兄は、中学生になるとギターを弾くを始めた。父親も昔弾いていたらしく、交互に弾いているのをみて私自身も弾きたくなり挑戦してみたがからっきしダメであった。

何事に関しても練習が嫌いで、うまくいかないことがあればすぐ投げ出す子供であった。

兄が上達するのをみて劣等感を感じる私。そんな私を見てか、親はベースを買ってきた。

兄はギターで弟はベース。そんなことを親は期待していたのだろうか。しかし私はベースも一度諦めた。飽き性なのである。

音楽は方に重きを置き、中学高校と流行りのバンドの曲を聴き始めることになる。ここでも私から見つけて聴くことより、家族が聴いている音楽を聴き話題についていくことでしかなかったと今では思う。

 


高校からは同じ高校に通う姉に誘われ吹奏楽を始めた。演奏することは苦手ではあったが

、兄とは違う道で音楽をやることでうまくいかないことがあっても私自身割り切って楽器の上達に勤しんだ。

 


それから大学卒業まで吹奏楽をやることになるが、大学入学あたりからそれまで聴いていた学生が聴くような流行りの音楽や、友達や家族と共有していた音楽を聴かなくなった。

理由は簡単で、それらの人たちと話すことが減ったからだ。私にとって音楽はそれくらいのものだったのだとわかった。周りに合わせて自分の好みを決めていたのである。

大学で行なっていた、吹奏楽で演奏するような音楽については今まで通り聞いていたし、最低限の知識として音楽を聴くようになった。

 


かといって最初に言った通り、一番の趣味には代わりない。なぜなら音楽鑑賞がベタな趣味であるからである。そして音楽を意識して生活する環境にしてくれた親に感謝している。完全にコミュニケーションツールの一つとしか見ていないが、そこには自分の生きてきた証がある。