籠の中のジョニー

若輩者のプロフィールのような文章

勉強が嫌いな話


勉強がとことん向いてない。

集中力をどこかで身につけ忘れてから、勉強について積極的に行った試しがない。それ故、漢検に落ち、第一志望の大学に落ち、惜しいところで卒業を逃す人生ではある。試験に弱いこともさることながら、勉強へと向かう心持ちが著しく低い。しかし始めから勉強ができなかったわけではない。

 


ゆとり世代ど真ん中の私も小学生の内は成績優秀で、満点を取ったテストを1枚親に渡すごとに50円をもらっていた。お小遣いがほとんどなかった時期に、週刊少年ジャンプを買うための唯一の収入源だった。クラスで唯一の満点を取った日には鼻高々であった。

単純に短期記憶が得意なのであったと思う。テスト前にさっと教科書を見るだけで解けてしまう自分は天才だと思い込んだ。

 


勉強ができなくなった転機は中学校にある。というか英語にある。中学校から始まった英語の授業でつまづいたことが元凶である。

極度の面倒くさがりやな当時の私は英単語を覚えることを渋った。

そうすると次第に勉強自体を渋るようになった。元々家で教科書などを開くことはなかったし、夜に自分の部屋で教科書を開くことが怖かった。あまり理解されない感覚かもしれないが、教科書に書かれているものが飛び出してくるような妄想が勝手に膨らんでいくことが怖くて教科書が開けなかったという表現が近い。

 


そんなことがあって、勉強することに対しての嫌悪感が膨らみ、学校の授業の時間で覚えた知識の中でテストに挑んでいる状態は中学生時代にはギリギリついていけるくらいに下がっていた。高校時代は当時部活に忙しくしていたせいで、授業中の睡魔とも戦いながらどんどん成績を落としていった。

あれよあれよと大学受験の時期になるが、当然家で勉強など人の何分の1しかできなかったと思う。結果は第一志望の大学には合格できず、妥協して入ったところではあった。

 


大学時代も勉強には積極的になれなかった。勉強に積極的な学生を見ては、「勉強するしかやりたいことがないのか」と蔑み、自己肯定をしながら友達のプリントなどを頼りにテストに挑んでいた。サークルとバイトで忙しくしていたことを言い訳にしていたダメ学生である。

そんなことをしているから単位も順調に落とし、卒業できるかギリギリのラインに立ち、4年の冬に晴れて留年が決まる。

 


卒業ができなかった時全てを悟った気がした。ちゃんと卒業していった先輩や友達と私は何が違うのがその時初めて真剣に考えた。

勉強ができないことが、何か根本的に人間として欠陥があるのではないかと考えるようになった。最近では発達障害などよく耳にするが、私自身も勉強ができないことがそれに当たるようなのではないかと思うようになった。しかし未だにその真意はわからない。

 


これまでの人生を送ってきて、「勉強ができない自分とどう向き合っていくか」が「今後の人生をどう生きるか」の最も重要な定義なのだと痛感した。

人生は仕事する上でも常に勉強の連続であると思う。その勉強を今後どれだけ好きになれるか、あるいは好きなことと結び付けられるかが鍵である。

学校での続けられない勉強のようなことをいかに避けるか、ストレスを感じない範囲で割り切って行うことができるか、当たり前の継続として習慣づけるか、それぞれの物事がそれぞれに合った選択をしていかなきゃいけなくなる。

 


勉強には今後もいろいろなことを考えさせられるだろう。